駒苫の苦労

以下駒苫の隠れたる部分の記事を抜粋してみました。

準優勝の駒大苫小牧、選抜辞退乗り越える

3月。チームはどん底だった。卒業式の夜、部員の卒業生が飲酒、喫煙で補導された。春の選抜大会を辞退、香田誉士史監督も辞任した。

学校の会議室で、補導された先輩たちは自らの行為をわび、皆、泣いていた。

「これ以上、気にしないでください。気持ちを切り替え、次を目指していますから」。現役部員を代表して、本間篤史君はそう言った。

だが、簡単に吹っ切れたわけではなかった。練習後は寮に集まり、「終わったことは仕方ない。まだ最後の夏がある」と話し合った。三木悠也君は「みんな自分に言い聞かせるようだった」と振り返る。

奥山雄太君は「選抜辞退より、香田監督がいなくなったことの方が大きかった」と言う。「野球をやっている意味があるのかとさえ思った」

香田監督も体重が連覇の時より14キロ減った。「球拾いでもいいから」と、全国の仲間を訪ね歩いた。先輩が指導する高校でノックバットを振ると、無心になれる自分を感じた。

5月、香田監督が復帰。チーム作りの遅れを取り戻すかのように、練習は厳しさを増した。
「それじゃアップにならねえだろ」。準備運動から厳しい言葉が飛んだ。小林秀君は「ちょー細かい。監督はO型なのにA型野球だ」と表現する。

それからは、野球づけの日々。「去年より進化しないと勝てない」と、春の全道大会中も朝練をしてから試合に行き、学校に戻って、また練習した。「選抜に出ていたら、安易な気持ちで夏に臨んでいたかも知れない」と香田監督。

2年前の初優勝では「北海道は弱い」という常識を破り、連覇した昨年は王者の重圧をはね返した。そして今年は悔しさを。みんな戦い抜き、宝物を手に入れた。

駒大苫小牧・田中 ワンマンから全員野球へ

3点を追う9回。駒大苫小牧の選手は、誰もあきらめていなかった。
駒大苫小牧の田中の力投は甲子園を沸かせた=21日午後、兵庫県西宮市で 「(田中)将大が頑張ってくれている。なんとか塁に出ないと」。中沢竜也君は、こんな思いを込めて打席に入った。

低めのスライダーをフルスイング。打球はバックスクリーン横に飛び込み、1点差に。だが、後が続かずゲームセット。

田中君が、泣き崩れる本間篤史主将の左肩をいたわるように抱き、声をかけた。 「よくやった」

香田誉士史監督は「最後の最後まで一体となったプレーが見られ、本当に良かった」と、選手の健闘をたたえた。

苦戦を強いられた初戦の南陽工(山口)戦。香田監督は、ベンチで田中君に気をつかう選手たちに、何かよそよそしさを感じていた。

原因は春の選抜大会の辞退にある。夏の甲子園出場が至上命題になり、地方大会は危険を冒さない采配になった。7試合中1イニングを除き、すべて田中君が投げ、「絶対的なエース」にしてしまった。

3回戦の青森山田戦、香田監督は「一種の賭けに出た」。田中君を先発から外した。最大6点差が開いたが、終盤、驚異的な集中打で青森山田に追いすがる。気がつくと得点が入るたび、田中君にほかの選手たちが抱きついている。チームに一体感が戻っていた。

昨夏の地方大会から今夏の準決勝までに積み上げた公式戦の連勝は48。だが、監督も選手も「自分たちはチャレンジャー」と言い続けた。

6月にあった選抜優勝の横浜(神奈川)との練習試合。無死一塁でもあえて送りバントはせず、敗戦。香田監督は「負けた方が良いと思った。自分たちの力の無さが分かったはず」と話す。

常に挑戦者として攻める姿勢を保ち続ける。それが「チャレンジャー」という言葉になった。

「(3連覇という)記録のためにやってきたわけではない。良い勝負で終われて、少しほっとしている」。試合後、香田監督は苦しかった胸の内を語った。

怪物”駒苫・田中に涙なし/夏の甲子園

最後の夏は、マウンドではなく、バッターボックスで終わった。3−4と1点差に詰め寄って迎えた9回2死無走者。駒大苫小牧のエース田中将大(3年)のバットが空を切り三振。3連覇の夢が消えたその瞬間、背番号1はぼうぜんと立ち尽くした。「やり切った気持ちが強い。見逃しではなく空振りで終わったので、悔いはない」。ベンチで号泣する仲間の肩を、笑顔で抱いた。

前日に165球を投げ、右肩に張りを感じながらも、1点を失った直後の1回2死から先発の菊地翔太(2年)を救援。力勝負ではなく、丁寧にコースをついて打たせて取るクレバーさを見せた。悔やまれるのは6、7回。いずれも2死から「少し甘く入った」という真っすぐを外野へ運ばれ追加点を許した。「抑えるべきところで、抑えられなかった。ピッチャーの僕の責任」と悔しさをかみ殺した。

大会直前には体調を崩し、38度の高熱にうなされた。さらにフォームを崩して苦しんだが、味方打線に助けられて決勝へ。「一番楽しかったのは、みんなと野球ができたこと。負けはしたけれど、最後にいい試合ができて良かった」。観客もまばらになった球場での胴上げ。仲間の腕で3度、宙を舞った“北の怪物”は、さわやかな笑顔とともに甲子園を後にした。

大会史上、2校目となる3連覇がかかった試合だった。3大会連続で決勝に進んだのは、7〜9回大会の和歌山中(現桐蔭)、3連覇した中京商、65〜67回の桑田真澄(巨人)と清原和博オリックス)を擁したPL学園(大阪)、そして駒大苫小牧だけ。KKコンビのPL学園は2年目に準優勝。5年制の旧制中学だった和歌山中時代の参加校は243、中京商の時は671校。参加4000校を超えた今大会とは比較のしようがない。香田監督は「1回目より2回目、さらに3回目のほうが周りの意識もあり厳しかった」と言った。全国選手権の連勝は14で止まった。