2月21日 午後の部

腹を括り行くことにした。まず、久しぶりに新調したスーツに身を包み、久しぶりのネクタイをする。はじめは、数ヶ月ぶりのネクタイだった為ちゃんとできるか心配だったのだが、気にしていたほど苦戦もせず2回目でビシッとすることができた。そして時間が1時になったので出ようと思い玄関で靴を履こうとしたとき。「!!」。靴下が、普段家で履いているオレンジ色の靴下だったことに気がつく。「危ないなぁ」と思いながら部屋の戻り、靴下を履き替えて再び玄関へ。比較的新しい靴を履いていこうとしていたのだが、なかなか履けず、お気に入りの靴に変更。
出だしが悪いので若干の不安を抱えつつも外出。昨日ユニクロでスーツ用のジャケットを買っといてよかった。暖かい。新しいスーツで、新しいジャケットを羽織、新しいメガネで、新物尽くしである。普通なら気分が乗るところであるが今日はそうのいかず・・・。各停で大井町まで電車に乗り、大井町から歩く。時間は約束の2時を少し回っていたが気にしない。久しぶりに大井町の駅から会社まで歩くと商店街のお店が変わっていることに気が付く。「そうかぁ。6ヶ月(半年)も歩いてないと変わるものだなぁ」と景色を楽しみながら歩く。第三京浜を渡る信号が、全て新しい物に変わっていた。例の青色発光ダイオードである。そして会社の隣には大きなビルが建ちかかったいる。
会社のあるビルに着きフロアーのある5階までエレベータで登る。入口のところで同期に電話をする。中から開けてもらわないと、ドアが開けられないのである。私が休職してから、セキュリティーの問題で、ドアがカード式の鍵で開けないと開かない方式になったのである。同期にまず会いその後、ジャケットと鞄を自分のデスクの椅子に置き課長に挨拶に行く。その際後輩と少し会話をした。後輩は2年目でもう出張に行ったらしい。少し精神的ダメージを受ける。課長に挨拶すると、奥の会議卓のところで待つように指示される。しばらく待った。部長と話しているのかなかなか来ない。10分後ぐらいに、「お待たせ。」と課長が現れる。
まず、現在の薬の種類について「一時期は5種類ほど飲んでいた薬が3種類になりました。」と報告すると「それは、最初の時と同じ種類だよね。」となんか気にかかる答えを返してくる。その後「で、医者は何て言ってるの?」と聞かれたので「1ヶ月区切りで休んでしまうと『1ヶ月』と期限を意識しすぎてよくならないので4ヶ月休みが必要だと言われています。」と話すと、課長は「4ヶ月休みが必要なのはわかった。でもさ」とここで「期限」に対しての一般論を話し始める。「作家に対しての出版日」、「仕事においての締め切り」など他にも多数。そして、「医者の言いなりになってたら治る物も治らないんじゃない」的な内容の話をされる。そして、「自分としてはどうなんだ」といつものような話を言い始める。「鬱は一般論でわかる話じゃないんだ」と思いながら話を聞いていた。そしてまたしても、違う怪我の話を持ち出し、「脹れが引けば治ったってわかる。でもそういう『こころ』の病気って医者は患者さんの言っていることでしか判断できないよね」と遠まわしに「私がいつまでも治ったって言わないのもダメなんじゃないの」と言っているような話し方をする。「・・・・。」半分聞き飽きたので、口をはさむ。「自分としては、4ヶ月休みますがその途中で出てこられるようになれば出て来るつもりです。」と自分の考えを伝える。すると「そういうことかい。」と上手く話を切ることができた。そこで部長が現れ、課長が私の説明した話を伝える、部長は「そう考えているならそれでいい。」といい。最終的な休職についてのうちの会社の決まりを説明してくれた。部長は納得してるかわからないが、そんなに口うるさくはなくて、「せっかく休むんだから、ちゃんと治してでて来い」と言ってくれた。課長は今一納得していないようだった。そして、一般論で語られたことに苛立ちを感じた。とりあえず、休職手続き用の紙に期限と理由を記入し、診断書は明日先生に書いてもらい速達で課長宛に送ることになった。
用紙に記入後、あまり長居をしたくなかったので、早々に引き上げてきた。会社を出た後に、協力会社の人でよく飲みに行く人から「もう帰ったの?少し話したかったのに。」とメールをもらった。私が探した時には目に入らなかったので今日はいないのかと思い帰ってきたことを返信した。私も少しは話したかったのだが。その後家に着きすぐにクリニックに電話をし、「4ヶ月休養が必要」との診断書を書いてもらうように頼んだ。明日の朝にでも取りに行き、速達で郵送しなくては。