中学時代

自分の人生で「いじめ」は切っても切り離せないものなのかもしれない。
小学6年のあのつらい毎日を乗り越え中学に進学。
中学では私自身、小学校のときの自分を捨て明るく振舞った。


サッカー部に入部。
当時、うちのサッカー部は北海道を代表する強いチームだった。
そこで私は、一人の友人(以降Tとする)といつも練習することになる。
そのTは、我が強く、自分の意見を通すところがあった。
我の強い人というのは煙たがられる傾向にあり、
そのTも例外ではなかった。


私はそのTと仲良くするのと平行して、
違うグループの人間とも仲良くしていた。
それは、「この人たちと仲良くしていれば、いじめには合わない」という
センサーらしきものが働いていたのかもしれない。


しかし、そのグループはTのことを煙たく扱い、いじめだす。
いじめていっても、部活をやっている以上、無視するわけではなく、
初めは影で悪口を言う程度のもだった。無視もしていたかもしれないが。
(後に遊んでいるTめがけて影からボールを投げつけたりするのだが・・・。)


私はいじめはよくないと思うし、
もうあのつらさを味わうのはいいと思っていた。
本来なら止めるべき立場にあったのかもしれない。
でも、止めて自分自身もまたいじめにあうのがこわかった・・・。
自分ができた精一杯のことは、グループとも仲良くし、
Tとも仲良くすることだった。


「ずるい」ですよね。


でも、いじめられている人にとって、
こういう存在が一番大事だということは、
小学時代に経験済みでわかっていた。
自分なりにね。


私は3年間、Tとずっと練習した。
それは自分が望んでたし、Tを少しでも楽にしてあげようと。
私にできる精一杯のことだった。
周りは、私がTに付きまとわれているように思っていた。
だから、たまにこんなことも言われた。
「おかっち大変だよね。あいつと練習しなくちゃいけなくて。」


表向き周りがそう感じてくれているならそれでもいい。
その方が、Tと仲良くできるし。


Tはすごいと思う。
そんな環境の中で、レギュラーをつかみ、試合に出ていたのだから。
そして、当時下手だった私をレギュラーにしてくれた。
ありがとう。